disaster-i.net- 作者紹介- 災害研究- イベント等- リアルタイム豪雨
災害研究- 災害事例の調査・研究情報- 平成20年8月末豪雨災害- 岡崎市伊賀町

岡崎市伊賀町の人的被害発生現場(2008/9/1現地踏査)

2008/9/3作成,9/6加筆

●この場所付近の地図と写真●

 この現場では,自宅にいた76歳の女性が,浸水により死亡したものと思われる.犠牲者宅の浸水深は不詳だが,付近で計測したところでは,道路面から+2.8mほどの位置に浸水痕跡が見られ,1階が完全に水没した民家も見られた.この写真は,高位側の段丘面(を延長して盛り土したと思われる駐車場)から見下ろす形で撮影しており,この面は浸水していない.
 この付近は,東側が台地状の地形になっており,北側,西側が伊賀川の堤防で囲まれ,凹地状の地形になっている.1:2500都市計画図で見ると,伊賀川の堤防上とこの付近の最も低い場所の比高は2~3m程度となっている.
 明治23年測量1:50000地形図「岡崎町」をみると,この時代の伊賀川は,伊賀橋からほぼ真西に向かって流れている(上のリンクの地図に概略の位置を記入).大正9年修正の同図ではほぼ現在の河道の位置を流れている.「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1989)によると,明治45年から改修が行われたとのことである.市街地西方の水田地帯の浸水被害を軽減することが主な目的だったようである.地形的に見てこの改修は,台地の西端部を開削して新たな河道が作られ,一部区間で築堤が行われたように思われる.伊賀町の被害現場付近では,台地側(左岸側)に堤防が構築され,結果的にこの場所が凹地状の地形になったと思われる.
 大正9年修正の同図,昭和24年応急修正の同図では,この付近に建物の記号は確認できないが,昭和46年編集の同図ではすでに建物の密集地の記号になっている.正確なところは分からないが,戦後に立地した集落と思われる.1977年撮影の空中写真では,被害者宅および周辺の家屋がすでに確認できる.
 いずれにせよ,この付近も,豪雨災害に対する脆弱性の高い箇所(素因のある箇所)だったと考えざるを得ない.

[参考文献]
「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 :角川日本地名大辞典 23 愛知県,角川書店,1989.


静岡大学防災総合センター 教授  牛山 素行
E-mail:->Here