大和路への憧憬

プロローグ

 初めて大和路を訪ねたのはいつ頃であったであろうか。父も奈良を好んだ、というか、あまり意欲的にあちこちへ脚を伸ばす人ではないため、幼い頃の数少ない遠出といえば奈良であった。それを含めれば、初訪問は3,4歳頃ということになるであろう。もっとも、当然のことながらその頃の記憶はごく断片的なものである。

 はっきり記憶にもあり、いろいろな記録も残している最初の探訪は1981年2月、12歳のときである。そのころ、すでにはっきりとした大和路への憧憬というものを私は持っていたと思う。和辻哲郎の「古寺巡礼」、亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」が、当時の私の気持ちを掻きたてた。いささかステレオタイプ的、いや、ふた時代前のステレオタイプといえるだろうか。

 初めての単身の探訪は、1984年11月、高校1年の秋である。高校の修学旅行(研修旅行と呼ばれた)の委員として張り切っていた私は、下見と称し、この時と翌年3月の2回大和路を訪ね、いわゆる主要寺院と呼ばれるところのほとんどを訪ねまわっている。この頃から数年間ほどが、私の大和路への憧れが最も高まった頃であろう。

 その後、廃線趣味が本格化したこともあり、大和路とのつきあいはやや縁遠くなってしまった。めぼしいところはほぼ行き尽くしてしまったという、「乗り潰し」的達成感を持ってしまったという面もあるかもしれない。もっとも、いろいろな旅行や出張の一部に奈良を組み込むことは多かったし、以前のように大和路だけを何日もかけて回るようなことはなくなったが、大和路と縁が切れることはなかった。しかし、以前のような「憧憬」とも呼べる気持ちは薄くなってしまったようである。

 1999年4月。新しい仕事に就くため、私は宇治市に転居した。宇治自体、平等院のお膝もとであり、古寺巡礼とは縁浅からぬ地である。そして、大和路の玄関口、奈良まではわずか30分余。やや眠っていた私の気持ちが目を覚ますのに多くの時間はかからなかった。この地にどれだけいられるかわからないが、その間、かつてなじみの(と言ってももう10年程度のブランクがあるとこが多い)寺社を訪ねてみたいものである。


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