1999年9月19日 東大寺界隈

三月堂・二月堂・戒壇院・興福寺国宝館・東大寺大仏殿


●三月堂
 0933奈良着。最近の奈良訪問では一番早着。最近、「きっちりとした仏」を見たいという欲求が強まっている。昔は「仏像など・・・」と思っており、どちらかというと建物重視だったのだが、心境の変化というところか。ということで、今日は東大寺界隈の諸仏を訪ね歩くべく、東大寺参道の喧騒を後に、三月堂への坂を上っている。

 三月堂に立ち入るのは何年ぶりであろうか。高校以来、いや、学部一年の秋に戒壇院とセットで来ているような気もするので、だとすれば12年振りか。二月堂にはその間も来ているので、この界隈自体はそれほどご無沙汰ではないのだが。

 堂内は、土足禁止で、カーペットが引かれている。なおかつ、腰掛け用なのだろう、ござの引いてある大きな長椅子がならべてある。昔からこんなだったかな? いや、いずれにしても、これは最も望ましい形態。ひと通り堂内をめぐると、この椅子の上に腰を降ろす。というか、あぐらをかく。それに十分な広さがあるのだ。月並みだが、ここでもっとも心ひかれるのはやはり伝月光菩薩。あの表情と、合掌はたまらない。不空絹策観音はまた違った味わいがあるのだが、梵天、帝釈天は単に陰鬱なだけとも思える表情の上あまりに大きすぎ、四天王もやはり大きさが災いし、なじめない。

 外を、多くの団体客が通っていく気配がし、その都度どきっとするが、結局一団体も入ってこない。そういうところなんだろうか、ここは。確か、私は中学の修学旅行で団体入場したのだが。もっとも、座って鑑賞している分には好ましい。もともと客は少なかったのだが、ふと気がつくと堂内は私一人。また、違った思索にふける。なぜ私が古寺巡礼を好むか。何度となく繰り返された命題だが、今日は「空間の共有」という言葉が浮かんだ。三月堂の狭い堂内。この同じ空間を、和辻哲郎が訪ねている。亀井勝一郎も訪ねている。名も知らぬ出征学徒達も、古くは戦国の武将達、もちろん、天平の宮廷人達も。かれらを現実的にイメージすることはできない。しかし、この堂内という空間でかれらがひとときをすごしたことは間違いないのだ。そして、今、私もその空間にいる。このあたりがたまらないのじゃないか。

●東大寺裏 二月堂〜講堂跡〜転害門
 三月堂で午前中一杯をすごし、門前の食堂で昼食。さて、今日は十分時間がある、ということで、まずは巨大な鐘楼をひとめぐり。小学校の頃、これをついたっけ。

 再び階段を上り、開山堂をのぞき、二月堂へ。もっとも、二月堂自体は中へ入るわけにも行かぬので、周囲をぶらぶらしつつ、東大寺裏手に向かって降りる。このルート、土塀に囲まれた坂道の雰囲気がたまらない。上ったことがないので知らなかったが、振り返って二月堂を仰ぐと、これまたすばらしい。後刻このアングルの絵はがきを発見。やはり、奈良の風景は見尽くされていると言うべきか。

 坂を降りきると、講堂跡。ここもじっくり見るのは初めてだ。鹿のフンだらけで、なるべく礎石伝いに歩く。こうしてみると、あまり広さは感じないのだが、建造物の有無で印象が変わるものだろうか。興福寺南大門あたり、もっとよく見ておくべきか。

 正倉院を遠望し、少し下って転害門へ。この両側、これは東大寺付属の学校か、とみまごうような造りの建物が見えるが、なんとこれはいずれも奈良市立の幼稚園&小学校。こんなところに通うとどんな子供になるのでしょうな・・・ 転害門は、以前と変わらぬ堂々とした姿。監視カメラや放水銃がちょっと補強されているかな。しばし階段に腰を降ろし、涼をとる。9月も半ばを過ぎたというのに、本当に暑い。

●戒壇院界隈
 転害門から車道を南下し、焼門跡(といっても何の表示のないので、多分だが)を経て、戒壇院へ。ここは、12年前に訪れたとき、大仏殿と若草山を背景とした庭の姿に感動したものだったが・・・、あら、木が茂ったせいか、大仏殿が見えない。ほらほら、「歴史的な場所であっても、今なじんでいる光景が悠久のものだなどと思うのは視野が狭い」などと平素言っているくせに・・・

 戒壇院内部は2度目。う〜ん、こんなにあっさりしたところだっけ。堂内には、ひときわ高い戒壇と、四方に立つ四天王、中央に多宝小塔のみ。四天王、ことに広目、多門は素晴らしいのだが、みにくいところですな・・・

 戒壇院前の道を南下。ここには故入江泰吉氏宅があるのだが・・・、お、まだ表札はそのままだ。ここから戒壇院て、本当に庭先だな・・・


●国宝館〜八角灯篭
 まだ日は高い。久しぶりに(10年ぶり以上かな)国宝館の内部に立ち入る。この界隈も、何度となく来ているのだが、国宝館内は本当に久しぶりだ。仏頭、阿修羅と久しぶりの対面。やはり仏頭がいいねえ。今日は暑さのせいか結構しんどい。国宝館の奥にはうって付けの長椅子がある。壁に頭をもたげて、しばしウトウト・・・

 短い時間だが、本当に寝入ったらしい。すっきりとした気分になり、再び館内をめぐる。興福寺南円堂の八角灯篭(というよりその残欠と言ってもよいか・・・)をながめていたら、無性に大仏殿前の八角灯篭の天女に会いたくなってしまい、再び東大寺に引き返す。

 東大寺も中に立ち入るのはどれくらいぶりであろうか。いつ行っても喧騒に中にあるのがどうも抵抗があり、がらん内部はいつも見送っていた。時刻は1630、さすがにもういいだろうと思ったが、まだまだ、団体客の列は途切れていない。ともかくまずは大仏殿へ入り、ひとめぐり。堂内ではやはり蓮弁(模造)がよい。仏足石といい、基本的に線刻画が好きなのかもしれない。

 17時を過ぎるとさすがに急速に静かになってくる。堂を出て、おもむろに八角灯篭に近づく。う〜ん、やはりたまらない。考えてみれば、八角灯篭は気の毒な存在だ。大仏殿の近辺で、天平創建以来建ちつづけている的もな構造物はこれだけで、再三の大仏殿炎上も目の当たりにしてきた、もちろん国宝だというのに、何の表示もなく、人々はこの横を行きすぎるのみ。そんな不敏さがまたたまらない魅力なのかもしれない。ここでも月並みだが、南西面の天女が一番よい。夕日の当たり具合もまた絶妙で、しばし眺めつづける・・・


●再び二月堂へ
 1730、門を閉じる東大寺を後に。さて、帰ってもいいのだが、夕日か。と思うと、知らず知らずのうちに足が二月堂方面へ。東大寺界隈は急速に静けさを増していっているが、二月堂にあがると、ちらり、ほらりと人の気配。さすが、夕景を絶賛される場所だけのことはある。入江氏の写真にある、二月堂南側の手水の横から、大仏殿越しに日没を見る。あ〜、たしかにいい。カメラマン、ほかにも何人かうろうろ。手水前の石段に腰を降ろして、絶品の光景をしばし眺めつづける。そうだ、今日はMD持っているんだっけ。BGM入れてみようか・・・


戻る